神学校に入って数年後、休暇のため帰省していたときのことでした。主任司祭と同じ修道会の司祭がミサに来られました。ミサが終わって、香部屋という控えの部屋に戻ったとき、裸電球のスイッチを入れました。するとその神父様がわたしに「あなたはいい司祭になるでしょう」と言いました。もちろん「いい司祭」になることはできませんでしたが、その言葉は何か預言めいていました。
司祭まであと数年という頃、司祭志願者、すなわち、神学生を養成する大神学校で働かないかと上長から声をかけられました。わたしは「才能もないし、とても考えられません」などと返事をしたところ、「才能はなくても、司祭養成のために奉仕したいという気持ちがあればいい」と言われました。結局、そこで30年間奉仕した結果、今があります。
神さまは、ほかの人の声を通してもわたしたちの人生をみちびかれるようです。