国家のために殉じた戦死者に対しては、国は栄誉ある死として、格別にとむらい、勲章を授与したりします。名誉の戦死とは言え、国民、だれしも、その悲しみは、耐え難いものがあります。その上、忘れてはならないのは、その戦死者の影には、数多くの名もない善意の人々が犠牲になっていることです。この罪なき人々への謝罪や追悼は、つねになされ、いつまでも、記憶されなければならないと思います。そして、そのような誠に理不尽な死がこの世にまかり通るようなことが起こらないよう、人類あげて、その努力をすべきであります。
今や高齢社会、年をとるにつれ、友人知人の数は、この世より、あの世に多く存在するようになります。先立たれた親族はもちろん、先立った友人、知人たちを偲び、思い起こすことが多くなってきます。その追憶とともに彷彿と浮き彫りにされてくるのは、この世にあって人間のあるべき姿、人間の生きるべき道であります。
カトリック教会では11月2日は「死者の日」。すべての死者のため祈るとともに、この世では互いに真実と公平と正義をもって人は生きなければという自覚を得たいものであります。