修道院で朝夕唱える「教会の祈り」の中には、必ずといってよいほど、死んだ友人、恩人、会員、親族のための共同祈願もあって、「ああ、私もやがて、こうして偲んでもらえる」という安心感に包まれることがあります。
親不幸をしたあげく、修道院に入った私は、シスターたちといっしょにミサに与り、祈りながら、「お母さま、ご心配なく。ちゃんとお祈りしていますからね」と今は亡き母に語りかけるのです。母も、苦笑しながら喜んでいてくれることでしょう。
近頃あまり言われませんが、私は、煉獄の霊魂のために祈る習慣を、中学・高校時代のシスターから習いました。天国に入る前の浄めの時期にある死者たちは、自分では今や何もできません。この死者たちが、一日も早く浄められて、神のみもとに行けますようにと、私は祈ります。そして、小さい犠牲を捧げること、これが、今の私にとって、死者を偲ぶ大切な部分になっているのです。