そんな私にある日のこと、職場の上司でもあったアメリカ人の神父が、「あなたは宝石のような人だ」と言われたのです。私は耳を疑いました。戦争中、英語の授業もなく、たどたどしい英語と、間違いも多い仕事しかできていなかった私が「宝石だなんて」。
でも嬉しかったです。自分は「石ころ」でしかないと思いこみ、そのような振る舞いをしていた私は変わりました。私は自信を持ち始め、宝石になれる、いやならなくてはいけないと、心に決めたのです。
神父は多分、私が職場で"役に立つ"宝石としてではなく、すでに神に愛されている人、したがって劣等感を持つ必要がないことを言ってくれたのだと思います。旧約聖書のイザヤ書の中の神の言葉「わたしの目にあなたは貴い」(43・4)を「だから、あなたは宝石のような人だ」と言ってくださったのでしょう。他人と比べての自分の価値でない、かけがえのない自分に自信を持つことを教えられました。
その職場で7年、その上司のもとで働き、その後、岡山の大学で教えることになりました。私の願いは、学生の一人ひとりを「宝石」と見ること、そして、その私のまなざしが、学生の一人ひとりに、自分には偏差値で計れない価値があるのだということに気づかせるきっかけとなることなのです。