しかし、特にキリスト者でない家族の動揺や悲しみを思うと、心が痛み、不安と迷いに心が揺さぶられる思いを味わいました。そんな揺れ動く複雑な気持ちを抱えながらも、日々、一心に祈っていく中で、私は神様の声なき呼びかけを確信しました。心静かに「どんな障害があっても、神様が望まれるなら実現するでしょう」と、すべてを神様に委ね、自然に心が穏やかになっていく、そういう心の動きを自分のうちに体験したのです。人間的に見れば、八方塞がりで実現不可能な道だと思わざるを得ない状況の中で「神様にとって不可能なことは何一つありません。」(ルカ1・37)そう信じられる自分が不思議なくらいでした。
今も私にとって、この時のような自分の心の動きを味わうということが、岐路に立つ時の選びの指針となっています。迷いや不安があったとしても、心の深みで私は、本当はどのように感じているのか・・・それは真実の私を支えてくださる神様からのメッセージでもあると私は信じています。