しかし、論文や就職と、どうしてもパソコンの技術や機器が必要になり、こわいのを我慢して彼の教えを請いました。先輩は相変わらず厳しい方でしたが、その厳しさのなかに、温かさと愛が溢れていることが、だんだん分かってきました。
その後彼は、さまざまな岐路を経験しました。後輩が同じような会社を立ち上げてライバルが出現したり、長年の従業員が転職したり。情報技術を取り巻く環境も激変しました。
そんななか、彼は中小企業の団体に入り、一気に拡大路線に乗り出したのです。
自らセミナーに通い、イベントに出席し、目の回るような勢いで会社を変革したのです。親族や友達を中心に信頼できる人員を集め、いまや北京に支社を設立して中国への輸出まで手がけています。
彼は、どんな岐路に立たされても邁進することを止めません。従業員も、南米から単身日本にやってきた全盲の男性を含めた個性派ぞろい。平成育ちの若手社員や中国人スタッフも加わり、会社は目覚しい発展を続けています。
私にとって、未だに彼は近付き難い先輩ですが、遠くから尊敬し、応援しています。彼のバイタリティーと厳しさ、そして温かさは、数々の岐路が育てた賜なのでしょう。