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岐路に立つ時

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

岐路とはふたまたに分かれた道のことです。

車を運転中に自分は流れに乗って、メインストリートに居て細い分かれ道がある時、近道になるかと一瞬誘惑にかられるものの、大抵は安全を期してそのまま走り去ります。ところが眼前に大きな分かれ道が現われ、たまたま道に不案内な場所であった時、どのような行動を取るでしょうか。とっさの私の判断はなるべく渋滞になっていない、車の流れの少ない道を選びます。そして少し先に進んだら路肩に寄り、地図を出すなり先方に確認の電話を入れるなりして、迷いを取り除き、先を目指します。進路が正しい時もあり、Uターンして渋滞の道にもどらねばならぬ時もあり、右折左折をくり返し、先で合流する事もあります。その点徒歩では、土地の人に尋ねて、岐路で迷わぬよう心がけます。

実際の道ではなく、人生の岐路であればと考えると、その選択は簡単ではありません。多くの人が行く広い道は、安定して快適な人生を象徴しているのでしょうか、細かい分かれ道の誘惑に生涯悩まされそうです。別の生き方があったのではとか、引き返す事も出来たのだから、別の体験をしたかったとか。

大きな岐路ならば、私はまず少数派、即ち、未知数の多い方へ進みます。私自身は岐路どころか三叉路や十字路に、立たされた事もありました。今迄の経験が通用しないような分野を選択する事で、どれだけ人生が広がったことでしょう。そして周囲の人々のアドバイスや先人の生き方を参考にする事で、自分を謙虚に見つめ直す事が出来ました。

「しかし命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイ7・14)