ですから、イタリアの真ん中にあるローマに着いた時も、運転をとても恐ろしく感じました。何しろ、日本のように、交差点の手前にある大きな、方向指示の看板が無く、交差点のむこう側に、ほんとに小さなプレートが付いているだけなのですから。
こういう恐ろしさの代償を払って、ローマはあの世界の都としての美しい景観を保っているのでしょう。
ところで、私は昔、「クォ・ヴァディス」という映画を見た記憶があります。
映画の中で、キリストの弟子ペトロが、ローマの大火事と迫害を逃れて、アッピア街道に出たところ、反対方向から歩いて来る主キリストの幻と出会います。驚いたペトロは、「クォ・ヴァディス・ドミネ」、ラテン語で「主よ、どこへいらっしゃるのですか?」と問いかけると、主は、あなたがおいてきた人々のために、もう一度十字架にかかるために、ローマへ行くと仰るではありませんか。
そこでペトロはハッと思い直してローマへ戻り、そこで十字架にそれも頭を下に向けた逆さ十字にかかって殉教したのでした。
もし私がこれから、残された日々を生きる間に、人生の岐路に立たされた場合、私も言わなければならないでしょう、「クォ・ヴァディス・ドミネ?」そして、「主について行きたいのです。」(参:ヨハネ13・36〜37)