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岐路に立つ時

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

20歳の時に、私は人生を大きく左右する岐路に立っていました。

左の道はこれまでと変わらない人生、右の道を行けば、まったく新しい人生が開けていると思えました。

右の道は、自分よりも人を愛することを優先しなくてはならない、希望と喜びがあっても、難しいことや厳しいことも覚悟しなければならないとも感じていました。

私は少し迷いながらも、右の道を選びました。つまりそれは、カトリックの洗礼を受けたということです。

時々人から、「洗礼によって何が変わるのですか」と聞かれることがあります。

相手によってはこう答えます。「外面的には何も変わりません。でも、内面はまったく違ってきます」

別の人にはこう答えます。「カトリック教会では、洗礼の秘跡によって、原罪と自罪、及びその罰が完全に赦され、天国に入る権利と他の秘跡を受けられると教えています」

また別の人にはこう答えます。

「神様は私たちの慈悲深いお父さんであり、最高の友達です。そんな神様と共に歩む人生と、神様を知らない人生とでは、人生の意味も生き方もまるで変わってきます」

私自身は洗礼を受けて35年になりますが、後悔したことは一度もありません。本当に良かったと思っています。

ただし、洗礼を受ければ、もう人生は安泰で、天国への道が開かれていて、自分を変える必要がないわけではありません。

洗礼を受けた後も、私たちは度々岐路に立たねばならないでしょう。

 

「神か、自分か」という岐路です。

その時、神様の呼びかけが心の耳に聞こえてくるかもしれません。

「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ8・34)

 

この言葉にどう応えるか、私たちにはいつも自由が与えられています。