時々人から、「洗礼によって何が変わるのですか」と聞かれることがあります。
相手によってはこう答えます。「外面的には何も変わりません。でも、内面はまったく違ってきます」
別の人にはこう答えます。「カトリック教会では、洗礼の秘跡によって、原罪と自罪、及びその罰が完全に赦され、天国に入る権利と他の秘跡を受けられると教えています」
また別の人にはこう答えます。
「神様は私たちの慈悲深いお父さんであり、最高の友達です。そんな神様と共に歩む人生と、神様を知らない人生とでは、人生の意味も生き方もまるで変わってきます」
私自身は洗礼を受けて35年になりますが、後悔したことは一度もありません。本当に良かったと思っています。
ただし、洗礼を受ければ、もう人生は安泰で、天国への道が開かれていて、自分を変える必要がないわけではありません。
洗礼を受けた後も、私たちは度々岐路に立たねばならないでしょう。
「神か、自分か」という岐路です。
その時、神様の呼びかけが心の耳に聞こえてくるかもしれません。
「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ8・34)
この言葉にどう応えるか、私たちにはいつも自由が与えられています。