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天の国の鑑

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

今回のテーマは、正直なところむつかしい。普通に考えれば、聖人を連想してしまうからです。私は、人間みな本来、「神にかたどり、神に似せて造られた」(創世記1・26〜27)神の似姿であるから、聖人であると考えています。けれども、現実の人間は、私自身も含め、きわめて不完全で弱く、悪に傾きやすいことを知っています。そのギャップは大きいと思います。

こうした善悪混淆の人間を神さまは憐れと思われ、御子イエス・キリストによって、丸ごと救ってくださいました。これがキリスト教の教える福音のメッセージです。

人は誰でも、自力で救われ、聖人になることはできません。しかし、神が愛であることと主キリストが命を懸けてすべての人を救われたことを信じ、神の助けと恵みを祈りながら、自分らしく人事を尽くすならば、誰でも必ず救われ、聖人になることができるのではないかと信じています。その意味で、人間の救いは、神と人の共同作業といえるかもしれません。ただ神頼みのみで、自分らしい道徳的な努力を怠るならば、いくらお祈りをしても、救われることは難しいでしょう。

また、神や宗教をまったく無視して、自力だけで天国の頂上に至ろうとすることも、無理な話でしょう。

天国の鑑というのは、聖人のことではないかと私は考えますが、聖人もまたかつては、私たちと同じ弱い人間でした。この真実をよく考えて、私たちはみな、天国に救われるだけでなく、偉大な聖人になろうと志すべきではないでしょうか。

「なせばなる、なさねばならぬ、何事も、ならぬは、人のなさぬなりけり」という言葉があります。人はみな、志があれば、天の国の鑑になれると信じています。