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天の国の鑑

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

私の祖母は12歳の時に母親が亡くなり、4人の兄弟が残された。父親は12歳の祖母を親類に預けた。それから20歳になるまで、親類を転々とした祖母は、人の心の様々な面を味わって成長した。本心は女学校に入りたかったが、それは叶わぬ夢だった。何とか身を立てようと考えた祖母は、少しずつ小遣いを貯め、18歳になった時、和裁の塾に入った。親戚に気兼ねをしつつ、家事の合間に塾に行き、花嫁衣装を縫う技術まで習得した。

歳月が流れ、祖母には2人の孫ができた。それが弟と私だ。幼い孫に着物地と菓子折りの箱で小さな家を2つ作ってくれた。私の家は濃いピンクの屋根に淡いブルーの外壁でドアはミント色、ノブは真珠のボタンだった。軒下には銀のボタンで蜂の巣までつけてくれた。それは「おめざまし」という家だった。朝、弟と私が起きると枕元にその「おめざまし」が置いてあり、ドアを開けると丸くて甘いお菓子が置いてあった。祖母が家に帰ると母が引き継いだ。

祖母によると、「子供でも1日は辛く悲しいこともあるから、朝、小さな甘いものを一口食べれば、元気に過ごせる」と、このような家を作ってくれたのだった。

小学校に入ると、「おめざまし」の習慣はなくなった。それから歳月を経て私がキリスト教の信仰をもち、クリスマス・イブに丸いパンの形をしたご聖体をいただいた時、毎朝枕元に置いてあったお菓子を思い出した。「子供でも生きていくのは辛いから」とお菓子を置いてくれた祖母の慈しみを思った。人生は楽しいことばかりではない。このご聖体は、空の手で、しかも裸足で涙の谷を歩むための旅路の糧なのだと思った。

「天の国の鑑」をこの世で探すと、イエス様が最後の晩餐で記念として遺して下さったパンのみが思い起こされる。