彼らは、自分が置かれた不自由な状態にも不満を表わすことなく、ほんのささやかなものごとにも敏感です。多くの人々にとって、普通のような一つ一つのことが、彼らにとっては驚きであり、喜びでもありました。自分で自由に動き回ることができない彼らにとって、学校に登校することや、教師や友達とのどこにでもありそうな交流そのものが大きな楽しみの一つのようでした。彼らと接することを通して、周りの大人たちも、今生かされていること、自分にできること、日常の何でもない出会いや出来事がいかに有難いことなのかと気づかされるのです。
ある日、一人の重症心身障害児のお母さんが嬉々と分かち合って下さいました。「今朝、うちの子が私の語りかけに初めて笑ってくれました」と・・・・その児童は小学六年生でした。お母さんは、どんなに多くの愛と時間と労苦をかけて、その児童のお世話をされていたかわかりません。しかし、我が子のほんの一瞬の笑顔に心底から喜び、感謝するお母さんは本当に幸せだと、心から感動しました。
快楽や利便性、効率性のみを追及し、いつしか心から喜んだり、感謝したりすることを忘れてしまったような現代社会の多くの人々の中で、彼らは天の国を証ししてくれる貴重な存在だと思います。