イエスの弟子として歩む、ということは、イエスに向かってただ「主よ、主よ。」と叫ぶことではなく、イエスの隣人愛の教えを具体的に生きることです。本当に偉いというのは、すべての人の後になり、すべての人に仕えることです。一般社会の価値観とは反対である神の国の価値観をイエスは弟子たちに教え続けます。
それでも弟子たちの議論は収まらなかったようです。弟子たちとの最後の晩餐の時、イエス御自身が弟子たちに模範を示されます。イエスは「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれ」ます。「それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始め」られます。それから、イエスは語ります。「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネ13・14〜15)
ここから天の国の鑑となる人たちとは、いったいどういう人たちなのかを考えてみると、イエスが自ら模範を示してくださったように、それは具体的に人々に奉仕する人たちです。そして、このことこそが、真にイエスの弟子となっていくことであり、神さまを本当に受け入れていくことなのだと私は思います。