2015年09月07日の心の糧


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天の国の鑑

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ 漢字の表記が「鏡」(きょう)ではなく「鑑」(かん)というわけで、あらためて「カガミ」という言葉を見直してみましょう。もちろん普通にカガミと云えばガラスの鏡で、姿形を映して見る道具を思い浮かべるのが自然です。もう少し深く考えると磨きあげた金属面に映す古代の銅鏡など、考えつくかもしれません。そこで日本人なら、天皇の三種の神器に八咫の鏡がある事に気付き、お正月のおそなえに鏡餅を用意することを思い出し、鏡が特別な意味を持っているのではと考え始めます。

確かに鏡には特別な意味があったようで、お目出たい事や晴れがましい物に、言葉として使われています。例としては酒だるのふたを鏡と云い「鏡を抜く」と云いますし、能舞台正面の老松を描いたはめ板は「鏡板」と云います。そして「◯◯さんは私達の鑑だ」という風に、お手本にするとか模範にする時、私達は尊敬を込めカガミという言葉を使います。

その時のカガミの漢字に、年鑑の鑑を使います。なるほど年鑑や図鑑という物は何か確かめるために、調べたり照らしあわせて手本にする書物なので合点がいきます。

私達が人生の手本、模範とする人や事柄を天の国に捜すなら、枚挙にいとまがありません。聖家族を筆頭に諸聖人、福者、尊者、天使、それぞれ個性的で手本にしたいエピソードを持って、天国から私達を見守り励まして下さっていると感じます。信仰宣言を唱え、諸聖人の連祷、そして祈る時、大きな力に支えられているという安心感と勇気が沸いてきます。

聖書には「天の国はこのように例えられる」と主が説かれた身近な例え話が沢山記録されています。幼な児に倣って例え話をくり返し思い廻らせ、天の国の鑑を常備する人生でありたいと思います。