

夫は5人兄弟の末っ子で、私はその嫁。夫の両親の愛に甘えて何事もしてもらってばかりだった。4人の子どもの誕生毎にもお世話になったが、それを当たり前のように想い、どんなに大きな愛の奉仕だったか思い至らず、感謝が薄かった。
両親の最晩年、病院に見舞う度に、義母が兄嫁二人の悪口を愚痴るのを聞くのが嫌で、私はあまり優しくできなかった。昔、両親はその二人と些細な事で喧嘩して意地を張りあい、20年も絶縁状態だったのだ。
ある日義母が二人の名を言い「会いたい...」と小さく呟いた。魂の本音の叫びのようだった。
私は想った。人はこの世を去る時、仲直りしたいのかも・・。彼女がはっきり会いたいと言えば、その言葉で二人を招くことができるかもしれない、老いた彼女を見れば蟠りは消えてしまうのではないか、と。
私は神父様に事情を話し、神の力を願ってミサを捧げていただいた。祈りながら病室を訪れると、義母が私の顔を見るなり「あの二人に会いたい!」と言って泣きだした。意地を捨てたのだ。
私は心から神に感謝した。
そこで勇気を奮い起こし、二人の兄嫁に義母が会いたいと言った事を告げ、見舞いに行くよう勧めた。その時の私は末息子の嫁である立場を忘れ、義母の願いを受け止めて雄弁だった。
兄嫁たちが義母を見舞った時、私は同席を遠慮した。
涙、涙の再会だったようだ。
1ヶ月後、義母の葬儀の後、長男の嫁が私に言った。
「あの時、和解できたので彼女の位牌を我が家の仏壇に納めることが出来ました」。
甘えん坊の私が、義母の呟きを受け止めて、只一度だけ彼女のために働くことができた。そのように私を導き、励ましてくださった神の愛と慈しみの御業に今、あらためて感謝している。