

春は「はじまりの季節」です。入学、進学、就職など、「新しい生活」を始める人も多いでしょう。新たなスタートを切った人々ばかりではなく、あらゆる人々に希望が与えられる季節でもあります。桜やいろいろな花々が咲き、木々も芽吹き、自然界も命に包まれています。そして、長く寒かった冬をこえ、ようやく春が訪れたように、教会も、受難の苦しみと十字架の死を過越され、蘇られた「主の復活」、キリスト者の信仰にとって最も大切な出来事を記念し、祝っています。自然界も教会の典礼も、新たな門出を祝う人々を祝福しているようです。
「復活」と訳される言葉は、元来「立ち上がらせる」「起こす」という意味をもちます。主イエスは、まさに死の淵から立ち上がられ、今、厳しい現実の苦しみの中で失意の中にある人々を立ち上がらせようと、大切なメッセージを伝えます。
復活の主は、自身が殺されたことで、自分たちにも身の危険が及ぶことを恐れて自分の殻に閉じ籠っていた弟子たちに新しいいのちの息を吹きかけ、派遣されました。その派遣のメッセージは、広く世界の隅々まで、そして、複雑な現代社会にもおよぶものです。
混沌の中で、生きる意味を見出せない現代の青少年、貧しく困窮した人々、戦禍で疲弊し、自国を追われた難民の人々など、特に深刻な状況下で苦しむすべての人々が、主の復活の光に照らされて希望を取り戻し立ち上がることができますように。
イエスの苦しみと死と復活によって、人々が自分の人生の苦しみに意味を与えられ、生きる力を得ることができますように。
イエスは、自分の命と死をかけて、「どんな苦境にあっても『共にいる』」と約束され、愛のメッセージを残されたのです。