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やり過ごす

シスター 下窄 優美

今日の心の糧イメージ

 「聖人になろうと、犠牲を捧げるために苦しみは求めなくていい。与えられる苦しみを耐える力を願いなさい。」

 修道生活の入り口、修練期に恩師が言っておられたことを思いだします。偉大な聖人に憧れ、私もそのようになりたい、そのためには苦しみや犠牲をささげることを恐れてはならないと思っていたのに、そう言われたので、拍子抜けしたことを覚えています。

 あれから随分時が経ち、恩師の言われたことが身に染みてきました。苦しみや苦悩は求めなくても、ちゃんとやって来るということが分かりました。自分の足りなさの故にやって来る苦しみ、悩みがあります。また、個人では避けることができない大きな問題がやってくることもあります。

 そんな時、若い頃に読んだ、哲学者シモーヌ・ヴェイユの言葉が度々浮かんできます。ふざけて笑っているクラスメートに「飢えに苦しんでいる人がいるのによくそんなに笑っていられるわね」と言ったというのです。今、国内外の様々なニュースを見るにつけ、彼女の言葉は私に向けられたもののように感じます。

 自分のことも解決できないことが多いのに、すべてのことに責任を感じる必要はないのかもしれませんが、無関心でいることはできません。ではどうするのか。私の問題も社会問題も同じで、「 やり過ごす」という対処法があるようです。

 これは、聖母マリアの「思い巡らす」姿勢に通じるものがあると思います。その事を忘れるのではなく、心に留めて思い巡らしつつ、「その時」を待つのです。これが、私たちにできる最善の方法なのかもしれません。大事なのは、根底に希望を持ち続けて「やり過ごす」事で、これが私たちキリストを信じるものの特徴だと思っています。