走っていって、パラソルの代わりに手を引いてやりたくても、それが許されない悲しさ、それをかみしめている私に、母は一度も振りかえらずに帰ってゆきました。その後ろ姿には、70年余りの間、母が耐え忍んだに違いない数多くの苦労が刻まれているようで、母の背は、以前よりいっそう丸く、小さくなっていたように見えました。
修道院に入るまでの7年間、家の経済を助けるために私は働いていました。毎月の給料を、封も切らずに渡すと、母は押し頂いてから、まず仏壇に供えるのが常でした。その後ろ姿には、歳を取ってから、迷ったあげくの果てに産んだ娘への複雑な思いがにじんでいるようでした。
そんなこともあって、働いた末、修道院に入りたいと申し出た私に、母は「なぜ、結婚しないのかね」と言いながらも、あえて反対はしませんでした。
入会前の夜だったと思います。風呂場で私の背中を流してくれながら、「結婚だけが女の幸せとは限らない」と呟いた母の言葉が、30年見馴れた母の後ろ姿を集約していたのかも知れません。