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マリア様の役割

服部 剛

今日の心の糧イメージ

赤ちゃんを身籠っていた妻に「羊水検査を受ける?」と聞かれた時、私は「その必要は無い」と即答しました。独身の頃に観た映画の中で、来日したマザー・テレサが「中絶をするこの国は、物質的には豊かでも心は貧しい国です」と語るメッセージに共感していたからです。

私達は大人になるにつれて(自分がこの世に生まれてきたことの不思議)を忘れがちですが、私はひとりの時間に珈琲を飲みながらふと(星の数ほどいる人々の中で、世界にたったひとりの自分が生きている今は、宇宙から見ればひと時の夢かもしれない----)という感慨を覚えることがあります。両親...祖父母...と枝葉のように広がる無数の御先祖様の歩んできた人生の道が自分に繋がっていることを実感する時、自ずと鼓動は高鳴り、(この命は歓びなのだ)という記憶は蘇るのです。

昔々、馬小屋で産声を上げたイエスを布で包み、マリア様は愛しく抱きました。私の息子が生まれた時、妻が一筋の涙を流して我が子の肌に手を触れました。私が生まれた時も、私の母の言葉にならないまなざしが注がれました。そのような(母のまなざし)の背後には、ひとりの人間の誕生を(良し)とする神様の歓びと深い計画があるのでしょう。

3年前に生まれた息子の周がダウン症と知った時、私と妻の目の前は真っ暗になりました。しかし、私の両親を始め、多くの人々が「かわいい」と言って周を抱っこする背後に神様の目に見えぬまなざしを感じ、周がゆっくり育つように、私達夫婦の心もゆっくり癒されています。これからも晴れの日や雨の日があることでしょう。それでも、仕事から帰り妻と子の寝顔を見るたび(周が生まれて良かった...)と、私は心に呟くのです。