昔々、馬小屋で産声を上げたイエスを布で包み、マリア様は愛しく抱きました。私の息子が生まれた時、妻が一筋の涙を流して我が子の肌に手を触れました。私が生まれた時も、私の母の言葉にならないまなざしが注がれました。そのような(母のまなざし)の背後には、ひとりの人間の誕生を(良し)とする神様の歓びと深い計画があるのでしょう。
3年前に生まれた息子の周がダウン症と知った時、私と妻の目の前は真っ暗になりました。しかし、私の両親を始め、多くの人々が「かわいい」と言って周を抱っこする背後に神様の目に見えぬまなざしを感じ、周がゆっくり育つように、私達夫婦の心もゆっくり癒されています。これからも晴れの日や雨の日があることでしょう。それでも、仕事から帰り妻と子の寝顔を見るたび(周が生まれて良かった...)と、私は心に呟くのです。