一方私も、話がないときは点字の本を読んでいました。こうして、私たちはそれぞれ違う本を読んでは、後日、読み終わった本について語りあうのでした。
母はいつもバッグに数冊の本を入れ、家事や子育てのわずかな合間を見ては読書をしていましたが、自分で選んで私に読み聞かせる本以外、私の本選びには一切口を挟まず、選ぶ自由を与えてくれました。同時に、私が自分では選べないような未知の世界のことや、まだ経験していない事柄について書いた本を次々と読み聞かせてくれたのでした。それは大人になるまで続き、その時間数は母の人生の何分の一かに相当するほど長いと思います。
いま思うと、母は私に読み聞かせるかどうかの下読みのためにも読書していたのかもしれません。そんなわけで、母は近代日本文学や、ロマン派の小説、東西の古典文学を幅広く読んでいて、どんなジャンルの本についても話ができる蓄積をもっているのです。
その母の後姿を、私は知らず知らずに見せられ、ついていったのでしょう。点字が読めるようになると、私の枕元には大きな点字本が積みあがるようになりました。現在では、音訳された本を速い速度で聞くことが増えましたが、方法はともかく、私にとって、読書の楽しみと習慣は、母の後姿からもらった大きな贈り物なのです。