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マリア様の役割

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

最近、私は自分の役割を再確認する頻度が多くなりました。特に自分の役割を惑いながらも確認しつつ生き抜いたマリア様に祈る事が多いようです。と云いますのは、マリア様はいつも自分の役割を悩みながら確認しつつ生きた女性だからです。

さて話は変わりますが、最近、火山、地震、津波等の自然災害や国際問題による被害者が激増している気がしてなりません。新聞やテレビを見ていますと虚しい気持ちに襲われる事が非常に増えました。虚しさを感じる時、私は若い頃からマリア様について書かれた聖書の場面を思い出す癖があります。この場面を思い出すと瞬時にして私の虚しさが消えていくからです。

どんな場面かと云いますと、マリア様が赤ちゃんの時から可愛がって育てた息子が、その生涯の終りに十字架につけられ苦しい息の下から「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27・46)という場面です。十字架の下に佇み息子を見守る母親マリア様の気持ちを考えると、いつも私は、虚しさに支配されず明るく元気に生きようと勇気が湧きだすからです。

最愛の息子が十字架刑で死んでいく姿を見届けた母親は悲劇です。しかしマリア様の人生は不思議な誕生の歴史から始まり、この十字架刑という厳しい現実を避けることなく見守ったお母さんの生涯でした。不思議な息子の短い一生を愛し続ける役割を背負ったお母さんでした。

マリア様はこの地球で愛の大切さを母親達に今でも教え続けています。国際紛争での異常な暴力を振るう自分の息子達を母親はどう感じているのでしょう?私も複雑で厳しい現代社会で自分の役割をマリア様の役割に見習いつつ生きていきたいと思いました。