こうして天使が告げたアヴェ・マリア、そしてマリアの心を一篇の詩のようにまとめたマグニフィカトは、世界の沢山の作曲家の心を打ったので、この二編には有名な曲が数多く残されています。また、多くの画家が題材に用いたことから、数々の名画が残されています。それにしても、なぜマリアはここまで人の思いを引き付けるのでしょう。
聖書の冒頭にあったアダムとエワは、自分たちもほぼ神様に近い存在になれるという思い上がりを助長していった結果、神の贈り物である幸せから転がり落ちてしまいました。一方、マリアは、不幸になった人間を助けようとの神の思いを受け入れ、あくまでも謙遜に、神の思いに自分の思いを重ね、思いめぐらしていたということです。
こうして、30数年がたち、我が子イエスが残酷にも十字架に釘づけにされたのを目の前で見、しかも、イエスは神であるとの信仰の心で見なければならなかったのです。回りにいた見物人達の「神なら十字架から降りてみせろ」との嘲りが、聞こえないはずはありません。そして最後に主イエスは、マリア様とともに十字架の足元にいた弟子に、「これがあなた達の母親だ」(ヨハネ19・27)と言い残して絶命されたのでした。こういう訳で、聖母マリアは私達キリスト者の母親なのです。あゝ、嬉しい限り・・。