その度に、姉は迷惑をかけた人々に謝まって回らなければなりませんでした。
〈なんで、わが子にこのような重い障害があるのでしょう〉と嘆く日々が続きました。しかし、月日が経つうちに姉の考え方は変わってきました。姉はいつもこう言うのでした。
「M君は、私の生きがいよ。M君を育てることが私の喜びなの」
M君は急性心不全によって亡くなりました。姉はあまりの悲しみに声を出すことができなくなり、自宅から一歩も出ることができなくなってしまいました。
マリア様と姉、2人には共通点があります。ゴルゴダの丘で30代のわが子を殺されたマリア様。34歳のわが子を喪失した姉。 母親にとって子供を先に死なせるほど悲しいことはありません。姉の悲しみはいつまでも癒えることはありません。しかし、月日が経つうちに姉はようやく外出することができるようになりました。声も出るようになりました。
若い頃に洗礼を受けた姉は、苦しい時、悲しい時マリア様のことを思い出したのではないでしょうか。〈マリア様だけはきっと私の悲しみをわかってくれる。私の悲しみに寄り添ってくれる・・。〉
M君が神に召されてから、三年の歳月が流れました。今年の春、姉は庭に桃の木を植えました。
「M君の大好物だった桃の木を大切に育てます」とメールを送ってきました。