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無限の可能性

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

「無限の可能性」と言う言葉を知ったのは洗礼を受けた高校生の頃でした。その後、大人になり参加していたロンドンの比較宗教学の学会でも始終、この言葉は論文の世界で飛び跳ねていましたが、私の現実の生活では、何か遠い世界の言葉のようでした。何故かといいますと、極めて厳しい現実で私が祈る神様は、無限の可能性を与えてくださるはずの神様にも拘わらず、私の祈りと願いは聞いてもらえなかったからです。いつのまにか「無限の可能性」という言葉は意識の外に流れ出していたようです。

私の人生の或時期、私はこの世を生き抜く自信を全く喪失し、我が人生に絶望した事があります。全知全能で愛そのものである私の神様を疑い、信仰心は頼りにならないと思ったからです。しかし、当時から40年の歳月が流れ、更に色々の人生体験を経て、自分の死を真剣に考えている昨今、「無限の可能性」という言葉が再び意識の中に流れ込みだしました。そして私に大きな希望と刺激を与え続ける思想の一つになりだしたようです。

世界には色々の神様が存在していますが、宇宙万物の創造主、全知全能で愛そのものである神様を明確に打ち出しているローマカトリックの神様を選んで良かったとしみじみ思います。信仰は神様からのプレゼントと言われていますが、その神様は私の反省だらけの人生を十字架の贖罪で許して下さり、かつ、永遠の命を与えて下さいます。この永遠の命を得られる信仰は、正に私に無限の可能性と大きな夢を与えだしています。残された人生を明るく元気に爽やかに生き抜き、遂に永遠の命がいただけたら、私は或仕事をさせて下さいと、無限の可能性をお持ちになる全知全能の私の神様にお願いしているところです。