▲をクリックすると音声で聞こえます。

無限の可能性

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

この地球上では、このところ、各国、人工衛星の打ち上げを競っています。

昨年10月には日本が、生命誕生の謎にも迫るという、小惑星探査機「はやぶさ2号」の打ち上げに成功しました。2020年の東京オリンピック後に、6年、50億キロの旅を終え、地球に帰還するということですが、6年、50億キロとは、まさに天文学的数字、素人には無限大とも思われます。人類は、今や、宇宙時代、人間に秘められた「無限の可能性」を彷彿とさせています。

そのせいか、「無限の可能性を秘めた」という言葉が、キャッチフレーズとして、大流行り。「若者は、無限の可能性を秘めた、かけがえのない存在。これからの日本を担う若者が、人間力を磨き、発揮することによって明るい未来を作り出すことができます」という「無限の可能性」を生かした立派な文面も生まれました。しかし、その〈「無限の可能性」とは具体的に何か〉となると、全くクエスチョン、即答困難。だれしも頭をかしげる課題です。「無限の可能性」とは、裏を返せば、「未熟」「すこぶる未完成、それ故、大いに頑張れヨ!」という励ましの言葉とも受け止められます。そもそも、人間は未完成なもの、おのれ自身の完成を生涯、目指すべき存在であります。

その道は、人の数だけあり、無限と言えます。回り道をしつつも、その道を探求、忍耐、努力、創造力、それに希望と愛をもって、わが道を追求し続けることが必須であります。

"愛は地球を救う"という、あるテレビ番組のキャッチフレーズは多くの人々の共感を呼びました。

聖書も「愛がなければ、わたしは何者でもない」と説いています。(1コリント13・2)

愛を人生の基軸とすることを「無限の可能性」としたいものであります。