大きくなってくると、音だけで楽しめるゲームがはやりました。ステレオも手軽に買えるものが出てきて、ピアノの勉強のため音楽を聴きまくりました。外国の音楽やラジオ番組は、英語やフランス語の役に立つ楽しい教材でした。
そしていまは、コンピューターの画面を音声で読み上げるソフトが充実しています。これを使って、私は翻訳をし、エッセイを書き、インターネットで調べ物をします。さらに、スマートフォンにも画面読み上げ機能が搭載されたことで、カメラアプリを使って洋服の色柄を自分で確かめたり、食品パッケージに書かれた調理法をカメラで写して読み上げさせることもできるようになりました。スマホが私の目になったのです。
歩くときには、最大4メートルまで超音波を発信する機械を使います。これによって、少し先にある障害物を避けたり、柱を目標にして信号をわたったり、人を探知して誘導の助けをお願いしたり、電車の空席を見つけたりできるようになりました。白い杖だけではできなかったことばかりです。
機械を使いこなすには努力が要ります。ボタンのないタッチ画面の状態を記憶しながら音声を頼りに操作する技術、超音波の特性を呼吸でおぼえて使う技術などなど。
しかし、可能性は努力すればそれだけ広がるのだと、私は機械を使うことで日々実感しています。必要なのは、何かを実現する手段を使いこなすこと。
適応する気持ちがあれば、可能性は日進月歩なのです。