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古い自分を捨てる

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

「古い自分」というのは、仏教の言葉でいえば、我執といっていいでしょう。本当の自分ではない、計らいや考えや欲望や感情に囚われて、これが自分だと思い込んでいる自我意識に過ぎないものです。それは本来、無なるものです。本当の自分とは、あらゆるものに満たされた完全・完璧な自己意識にほかなりません。したがって、本当の自分に目覚めたければ、すべてを捨て去る覚悟や勇気がいります。これは容易なことではありませんが、利己心のように、何かを獲得することによって、満足し、充実すると錯覚しているような幻想とは違います。

私の好きな禅の言葉に、「無一物中無尽蔵」というのがあります。何も所有していないという無執着の心には、あらゆる存在も真理も善も美も愛も何でもある、という意味です。

宗教の修行の中に「清貧」という、貧しくなるということがありますが、何も所有せず、何にも執着しない、完全に離脱した心境になれば、神と自分が一つに融合しているのが分かるでしょう。これこそ、本来ある人間の姿ではないでしょうか。そうなるためには、まず私利・私欲・私心の塊である古い自我というのは本来の自分ではないことに気づき、自分というのは、本来あるがままで完璧で完全で光り輝いている立派な存在であることを信じることです。

幸福の青い鳥を探し求めて旅に出かけた兄妹のチルチルとミチルが、さんざん苦労した結果、自分の家の鳥籠にその青い鳥がいた、という童話作家モーリス・メーテルリンクの物語ではないが、真の自己とは、いまここに生きるあるがままの自分にほかなりません。