私は、洗礼によって「古い」自分を脱ぎ、「新しい人」に生まれ変わった恵みに応えるために、パウロの言う「善い行い」を日々実行していきたいと、心から願いました。やがて、自己主張に走りたがる傾向を脱ぎ捨てる苦しい戦いのすえ、ようやく目が開けたのです。「信仰によって救われたのは、神からの賜物であって、私自身の力によるのではない」ということに。洗礼によって私のうちに住まわれる聖霊の導きに、幼子のような信頼をもって自分をゆだねるとき、私の内から自ずとイエスの祈りがわきでます。「アッバ、おとうさま!」と。
こうして、私は気負わずに日々、自分を脱ぎ、イエス様に生かされるままに、新しい命を生きることの喜びを体験できるようになったのでした。