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古い自分を捨てる

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

待ちに待った洗礼の恵みに浴した、あのさわやかな朝。私は初めて、「あなたがたは『古い人』とその行いを脱ぎ捨て、深い知識へと進むようにと、創造主の姿にかたどって絶えず新しくされる『新しい人』を身にまとっているのです」(参コロサイ3・7〜10)という聖パウロの言葉の意味を、身に沁みて味わう喜びを覚えました。洗礼によってキリストに結ばれたこの日、パウロの言葉が新しく心に響きます。「だれでもキリストと一致しているなら、新しく造られたものです。古いものは過ぎ去り、今は新しいものが到来したのです。・・・私たちは神の作品であり、私たちの歩むべき道として、神があらかじめ用意してくださった善い行いをするようにと、キリスト・イエスのうちに造られたのです。・・・言葉にしろ、行いにしろ、何かをするときには、主イエスを通して父である神に感謝しつつ、すべてを主イエスの名によって行いなさい。」

私は、洗礼によって「古い」自分を脱ぎ、「新しい人」に生まれ変わった恵みに応えるために、パウロの言う「善い行い」を日々実行していきたいと、心から願いました。やがて、自己主張に走りたがる傾向を脱ぎ捨てる苦しい戦いのすえ、ようやく目が開けたのです。「信仰によって救われたのは、神からの賜物であって、私自身の力によるのではない」ということに。洗礼によって私のうちに住まわれる聖霊の導きに、幼子のような信頼をもって自分をゆだねるとき、私の内から自ずとイエスの祈りがわきでます。「アッバ、おとうさま!」と。

こうして、私は気負わずに日々、自分を脱ぎ、イエス様に生かされるままに、新しい命を生きることの喜びを体験できるようになったのでした。