修道院に向かう前の晩、わたしは恐ろしい夢を見た。自分の周りの世界がすべて崩れ落ち、暗い闇の中に引きずりこまれていく夢だどこからか「お前はすべてを失うのだぞ。それでもいいのか」という大きな声が響いていた。あまりの恐ろしさに汗をかき、飛び起きるように目を覚ましたのを、今もはっきり覚えている。
それでも翌朝、修道院に向かうことができたのは、心の底に「神様がこの道に呼んで下さったのだから、神様がなんとかしてくださる。すべてを失ったとしても、神様がまたすべてを与えて下さる」という確信があったからだ。この確信があったからこそ、修道院に向かうあの坂道を登り切ることができたのだ。
あれからずいぶん時間が流れたが、これまでのところ、わたしの確信は間違っていなかったと言える。ある意味で、わたしはすべてを失った。世俗的な意味での栄光や贅沢な暮らし、幸せな家族などを手に入れる可能性は断たれたからだ。しかしその代わり、神様のためにすべてを捧げて生きる喜びや充実した生活、同じ希望を信じるたくさんの仲間たちを与えられた。
もっとすばらしいものを与えたいからこそ、神様はわたしたちから古いものを取り去る。だから、何も恐れる必要はない。すべてを失うとき、わたしたちは神様からすべてを頂くのだ。