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古い自分を捨てる

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

毎年この時期になると、10数年前、修道院に入った頃のことを思い出す。衣類や本を詰め込んだ大きなスポーツバックを背負ったわたしが、修道院に向かう坂道を登って行ったのは、まだ吹く風も冷たい3月中旬のことだった。新しい出発のとき、「期待と不安を胸に秘めて」とよく言うが、わたしの場合は不安ばかりだった。こんなわたしに修道者など務まるのかと、まったく自信がなかったのだ。

修道院に向かう前の晩、わたしは恐ろしい夢を見た。自分の周りの世界がすべて崩れ落ち、暗い闇の中に引きずりこまれていく夢だどこからか「お前はすべてを失うのだぞ。それでもいいのか」という大きな声が響いていた。あまりの恐ろしさに汗をかき、飛び起きるように目を覚ましたのを、今もはっきり覚えている。

それでも翌朝、修道院に向かうことができたのは、心の底に「神様がこの道に呼んで下さったのだから、神様がなんとかしてくださる。すべてを失ったとしても、神様がまたすべてを与えて下さる」という確信があったからだ。この確信があったからこそ、修道院に向かうあの坂道を登り切ることができたのだ。

あれからずいぶん時間が流れたが、これまでのところ、わたしの確信は間違っていなかったと言える。ある意味で、わたしはすべてを失った。世俗的な意味での栄光や贅沢な暮らし、幸せな家族などを手に入れる可能性は断たれたからだ。しかしその代わり、神様のためにすべてを捧げて生きる喜びや充実した生活、同じ希望を信じるたくさんの仲間たちを与えられた。

もっとすばらしいものを与えたいからこそ、神様はわたしたちから古いものを取り去る。だから、何も恐れる必要はない。すべてを失うとき、わたしたちは神様からすべてを頂くのだ。