ある日、青い眼の司祭がお見舞いに訪れた。父を見るなり「ワタクシはあなたを天国に送る商売ね。この道30年!」と明るく言った。父は驚き、「私は死ぬのですか?」と神父様にたずねると、「そうです」と父の手を握った。父は「もし私の命が助かるようなことがあれば、教会のために働きます」と言った。神父様は、「今の言葉は信仰告白です。洗礼を受けても大丈夫!ワタクシはこれから黙想会があるからこれで」と出かけて行った。
父は数日考え、洗礼の決心を固めた。信徒会長に洗礼を病室で授けてもらい、セバスチアノという霊名をいただいた。父はその日を境に急速に病状が悪化し、危篤になった。病室には、母、弟、私がいた。すると戸が開き、神父様が「彼が気になったので、黙想会から戻って来ました」と言って父のそばに立った。父にはわかったのだろうか、ほほ笑んだ。司祭がご聖体を父の口に入れると、スルリと飲み込んだ。水さえ飲むことが困難になっていたのに。旅路の糧を得た父は、勇者のように顔が輝き御父の家に帰った。病気がわかってからわずか2週間。享年58歳だった。
天国に送る商売のお方の自然なふるまいを見て、私の信仰は成熟していないことを痛感した。私は外側ばかり整える古い自分を捨てられないのだ。
主イエスよ、私の心に住んでください。静かな光をください。