びっくりしないで、と言われて、反対にびっくり仰天しました。私の目が見えるようになるかもしれないというのです。医学的にはあり得ない。私は、心の視力のことと理解しました。
それから3年近く経ち、私は抜き差しならない人間関係に悩まされる事態に陥りました。正しいと思うことを誠心誠意しているのにそれが誰にも伝わらず、心を込めれば込めるほど溝が深まってしまうのです。イエス様は、こんなふうに理解されず十字架にかけられたのかもしれないとさえ思いました。
ようやく一山超えたとき、海辺を散歩していると突然閃きが訪れたのです。
私の間違いは、伝える方法だった。正しいことでも、相手に理解できる目線に立たなければ正しく伝わらない。その配慮が不十分だったのだ。
すると、すべての事象に説明がつき、目の前がぱっと開けたような気がしました。これからは、あのようなときの伝え方を全面的に変えよう。言葉の抑揚、単語、タイミング、目線、人との距離感。すべてを刷新しよう。
新しい光が差したとき、私はやっと、それまでの伝え方をさっぱりおき去る決心ができたのです。
あのおじい様の言われた通り、光は突然差してきました。私はそれに向かうことで、古い私から卒業できたのです。
目の視力はゼロのままですが、心の視力はずいぶん上がったと思った出来事でした。