いつでも、どこでも、どんな状況にあっても、古い自分を捨てて、新しい人として生きることができるのだ、と聖書は強調します。
なぜなら、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。」(同3・12〜14)
いろんな傷を抱えていても、困難な状況にあっても、さらには、絡み合ったしがらみの中にあったとしても、それでも、神さまは一人一人を呼んでくださり、豊かな愛を注ぎ続け赦しを与えてくださるのです。
自らの抱えている問題だけに目を留めず、少し客観的に自分自身とその周りを眺めてみれば、数々の人たちを通して、この私に恵みが注がれ、自分自身が生かされていることに気付くことができると思います。
「そして、何を話すにせよ、行なうにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」と聖書はその言葉を結んでいます。(同3・17)