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まわり道をしても・・・

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

満天の星!うわーっ、綺麗ー!

学生時代に山でオーケストラの合宿をしていた頃のワンシーンです。こういう時、真っ直ぐ合宿所に帰るより、少し遠回りしてでもこの感動を味わっていたいと思ったものでした。

人生に当てはめても、回り道と言えるような体験が誰にもあるのではないでしょうか。

結果的に回り道となる、というケースが一番多いと思います。よくあるように、我が家の息子も、音楽高校を卒業した途端に、ピアノをやめると言い出し、数ヶ月、ピアノとは縁のない生活を送ったものでした。

もう一例、私の妻の話で二倍恐縮ですが、彼女は私と出会うまで、親や周りの人々の薦めで、何度も見合いをさせられたということです。そして、その誰にも心を動かされる事が無かったそうです。

こうお話ししたのも何のためか、勘のいい皆さんは既にお分かりですよね。そうです!唯一人、心を動かされたのは私にだったのです!。

さて、恐縮も3倍になろうとしておりますが、私の歩みもちょっと変わっていると言われます。

私も音大出身で、卒業後、いくつかの具体的な道が開かれていました。ですが、私が選んだのはあしかけ11年に及ぶ修道院生活でした。これが、回り道だったか、あるいは真っ直ぐの本道だったか、そこは分かりません。しかし、こういう道を通った者のみが知ると言える事も確かにあると思えるのです。

旧約聖書に目を向けてみると、モーゼ率いるイスラエル人達は、40年にも及ぶシナイの砂漠での壮大な回り道を経験しました。この道こそが神への道だったので。(参:出エジプト記)

また、新約聖書では、放蕩息子がやりたい放題の生活で身を持ち崩したあと、父の元へ戻った時の、父の暖かさは何とも感動的ではありませんか。(参:ルカ15・11〜24)