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まわり道をしても・・・

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

「子どもが、スポーツ選手になると言い張って勉強をしません。どうしたらいいでしょう。」そんな相談を受けることがある。「スポーツ選手なんか、そう簡単になれるはずがない」と心配する親御さんの気持ちも分かるが、子どもにそう言って納得させるのは難しいだろう。もし納得させたとしても、後から「あのとき母さんが止めたから、ぼくはスポーツ選手になれなかった」と責められるかもしれない。

このような相談を受けたとき、わたしは「本人が納得のいくまでやらせてみてはどうでしょう」と答えるようにしている。実際、スポーツ選手として大成する可能性だってないわけではない。もしうまくいかなかったとしても、自分が納得するまでとことんやってみて、それで駄目なら後には何の悔いも残らない。大切なのは、スポーツ選手になる道が本当に自分の進むべき道なのかを、本人が自分自身で見極めることなのだ。

「そんな回り道をさせたくない」と願うのが親心かも知れないが、その道が回り道なのかどうか、実際のところ親にもわからないはずだ。親だって、その子どもがどの道を進んだら一番幸せになれるのか、答えを持っているわけではないのだ。自分が進むべき道を探すということは、自分が本当になるべき自分、本当の自分を見つけるということに他ならない。本当の自分は、転んだり、傷ついたり、ときに迷子になったりしながら、自分自身で見つける以外にないだろう。

いつかその道を見つけたとき、「ずいぶん回り道をしたものだ」と思うことがあるかもしれないが、それは結果論にすぎない。その道は、本当の自分と出会うために、歩まねばならない道だったのだ。自分なりに精いっぱいに、力の限り歩み続ける道に回り道などない、とわたしは思う。