このような相談を受けたとき、わたしは「本人が納得のいくまでやらせてみてはどうでしょう」と答えるようにしている。実際、スポーツ選手として大成する可能性だってないわけではない。もしうまくいかなかったとしても、自分が納得するまでとことんやってみて、それで駄目なら後には何の悔いも残らない。大切なのは、スポーツ選手になる道が本当に自分の進むべき道なのかを、本人が自分自身で見極めることなのだ。
「そんな回り道をさせたくない」と願うのが親心かも知れないが、その道が回り道なのかどうか、実際のところ親にもわからないはずだ。親だって、その子どもがどの道を進んだら一番幸せになれるのか、答えを持っているわけではないのだ。自分が進むべき道を探すということは、自分が本当になるべき自分、本当の自分を見つけるということに他ならない。本当の自分は、転んだり、傷ついたり、ときに迷子になったりしながら、自分自身で見つける以外にないだろう。
いつかその道を見つけたとき、「ずいぶん回り道をしたものだ」と思うことがあるかもしれないが、それは結果論にすぎない。その道は、本当の自分と出会うために、歩まねばならない道だったのだ。自分なりに精いっぱいに、力の限り歩み続ける道に回り道などない、とわたしは思う。