この21世紀の現状をあたかも予言し、新事態を示唆するかのような言葉が、いみじくも、旧約聖書に見出すことができます。
「主は、人間を土から造られ、再び、土に帰させる。だれも、主の不思議な業を究め尽くすことはできない。人が究め尽くしたと思ったときは、まだ始まったばかりであり、途中で止めてしまうと、徒労に終わる。人間とは、何者か。その存在の意義は何か。その行う善、その行う悪とは何か。人の寿命は長くて100年」(参:シラ書18・6〜9)
実に神妙、考えさせられる、古くして新しい顧みるべき言葉であります。
やたら、"おいしい"、"たのしい"が、まかり通る、安逸すぎる今の世代、迫り来る天与の重大試練を感知し、すべての人が、急がずたゆまず、天の摂理を重んじ、真摯に、それぞれ自分の信じる道を邁進したいものであります。
「自分たちがどのように生活しているか、よく気を付けて見直しなさい。知恵の足りない者のようにではなく、知恵ある者のように与えられた時を活用しなさい。分別をわすれず、主のご意志がどこにあるか悟りなさい」と、窮迫した現代にぜひ生かしたい、使徒パウロの教えであります。(参:エフェソ5・15〜17)