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まわり道をしても・・・

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

大地震、火山噴火、天候異変、いまや"想定外の出来事"と、安閑としてはおられなくなりました。突如身近に襲ってくる天災、天変地異、人々はその恐ろしさにおののき、人間の無力をつくづく悟らされています。われわれ人間の未来は、いったいどうなるのだろうか。だれしも懸念し、危惧の念を抱いています。早急になんらかの知恵と対策が望まれています。言わずもがな、いまは、誰もが恩恵に浴している情報化、デジタル時代、"善は急げ"、あらゆる情報を緊急集結、万事解決の朗報に接するのではないかと想像しますが、事態は、未解決です。

この21世紀の現状をあたかも予言し、新事態を示唆するかのような言葉が、いみじくも、旧約聖書に見出すことができます。

「主は、人間を土から造られ、再び、土に帰させる。だれも、主の不思議な業を究め尽くすことはできない。人が究め尽くしたと思ったときは、まだ始まったばかりであり、途中で止めてしまうと、徒労に終わる。人間とは、何者か。その存在の意義は何か。その行う善、その行う悪とは何か。人の寿命は長くて100年」(参:シラ書18・6〜9)

実に神妙、考えさせられる、古くして新しい顧みるべき言葉であります。

やたら、"おいしい"、"たのしい"が、まかり通る、安逸すぎる今の世代、迫り来る天与の重大試練を感知し、すべての人が、急がずたゆまず、天の摂理を重んじ、真摯に、それぞれ自分の信じる道を邁進したいものであります。

「自分たちがどのように生活しているか、よく気を付けて見直しなさい。知恵の足りない者のようにではなく、知恵ある者のように与えられた時を活用しなさい。分別をわすれず、主のご意志がどこにあるか悟りなさい」と、窮迫した現代にぜひ生かしたい、使徒パウロの教えであります。(参:エフェソ5・15〜17)