大小の石がやたらにごろごろした登りにくい山道で、上りはいいけれど、下りは気をつけなくては、と思っていたのにやってしまった・・・転倒の瞬間の衝撃は体ばかりではありませんでした。激痛をこらえ、木の幹に縋り岩を這いやっとのことでバス停に降り立った時は、ほっと気が弛んで涙が溢れました。
私の骨は発砲スチロール製らしく、パキッと折れずにガラスの細かい破片のように砕け散る・・・破砕性骨折というのだそうです。
さて、それからギブスと松葉杖の日々の始まり。
これが世界を一変させたのです。
何ひとつ思うように動けないみじめさ。それを身を以て知りました。どこでも取り残されていくような心許なさ。不安感・・・。
ところが、街におりてバスの乗り降りに、スーパーで、駅のホームで、すっと差しのべられる手があり、「大丈夫ですか?」と気づかわれ、モタモタしている私に、「ゆっくりでいいですよ、気をつけて」・・・と通りすがりの見知らぬ方から声をかけられ、見守られているのに気づかされたのです。信号がかわっても「急がないで」と一緒に歩いてくださった方、ありがとう!
そして思ったのは、私は今までどうだったかということ。恥ずかしいです。
教会だけじゃない、街角で出会う人々にも、共同体の一人ひとりなんだって感動しました。
神さま、愛のあるところにあなたはいらっしゃる、のですね。