▲をクリックすると音声で聞こえます。

希望はここにある

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

「神は実りある人生を愛するが、実りをもたらさなかった人生も愛する」。この言葉を読んだ時、私ははっと胸を突かれました。

神は、目に見える結果で判断なさらないのだ、神が「よし」とされるのは違う基準だと感じたのです。たとえば、科学者や俳優などになって歴史に残る実績を出すと、夢をかなえた人、人生に成功した人だと私たちは考えます。それはそれで立派です。しかし、懸命に努力し、誠実に生きようとしたけれども複雑な状況が起きて人に利用されたり、健康を損なったりして、人生が違う方向に進む場合もあります。こんなはずではなかったと懸命にもがいてもそのまま人生を終える人がいるのです。そのような人の一生は、何をもって意味があったと考えればよいのでしょうか。

私の父がそうでした。絵や詩作の才能を持ち、健康に恵まれ大きな仕事をしていましたが、人にだまされて財産をすべて失い、残ったのはアルコール依存症との闘いだけでした。しかし、父は同じようにアルコール依存に苦しむ仲間をいつも家に招き入れ、「一緒にがんばろう」と言って食事を作って力づけました。また、父はすべてを失ったので、すべてを失った人の友になりました。ご主人が借金を作って失踪し、途方に暮れていた時に、家によく来て話を聞いてくれた、と父の葬儀の席で泣きながらお礼を言われたこともあります。父は自分の苦しみに閉じこもらず、他の人の苦しみにも心を開いていたのでしょう。

人生の目的は、「愛すること」です。神さまは心に愛がある人に「友よ」と言ってくださる方です。私たちを愛し、十字架にかかって死に、復活した方、イエス。この神さまの目から見ると、父の人生は大成功だったと私は信じています。