「朝には私はいつも神からの赦しと祝福を感じる。『夜が嘆きに包まれても、朝は喜びに明けそめる』と詩編にもあるように、きのうまでの自分の罪に泣く人に、新しい朝はやり直しを祝ってくれる。
この赦しと祝福の典型が、キリストのご復活。朝と言えば何よりもキリストのご復活の朝、マグダラのマリアに現れ、そして次々弟子たちに現れたキリスト。この闇に打ち勝った清々しい命の確かさを、全ての人が心の希望として、抱き続けていくことこそが、天の御父のみこころなのだと私は思う。
これから幾度、私は朝を迎えることが出来るだろうか。その一回一回を、喜びと感謝をもって迎えたい。」
妻は、神から命をいただき、生かされていることに感謝しながら一日一日を大切に生き抜きました。中でも、病の14年間は、体はベッドにありながらも、心は日本中を駆け巡っていました。妻の文章に励まされたという手紙が、各地から寄せられました。
そしてその日、いつものように、「お休みなさい、また明日ね」と言って眠りについたまま、46年の生涯を終えて、天に召されて行きました。