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復活とは

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

命あるものはすべて、死と復活を繰り返しながら生き続けていると言えます。たとえば、落葉樹は、春に新芽を出し、夏に向けて葉を繁らせ成長しますが、秋になると葉を失い、冬には生気を失った枝だけの状態になります。しかし、春になると命を取り戻すかのように新しい芽を出します。人間のからだも、細胞の新陳代謝で成長していきます。

ところで、普通、命あるものが死ぬなら、生き返るのはほぼ不可能です。自然界は、冬の時期には一見死んだように見えても、完全に死に絶えてしまったわけではなく、そこに何がしかの命の脈があるはずです。だから、春の自然界は命に満ち溢れるのです。

同じように、使用済みの車や電気製品などはリサイクルという工程にかけられると、再生利用されます。会社が破産しても、人がいる限り、再生は不可能ではないでしょう。

大怪我で再起不能と言われたスポーツ選手が、健康を取り戻し、以前のように活躍をすると、"完全復活"などと言われます。人間は、精神的に死ぬようなことがあっても、肉体的に死んでしまわない限り、もとの自分に生き返る可能性があります。絶望的な状況にあっても、復活する可能性は必ず残されています。そして、復活すると、一度死んだと思えば、新たに生きる力を感じるのではないでしょうか。

とは言え、自然の命には寿命があります。しかし、キリストは、死んで復活しました。それは、わたしたち人間が、死後、時間や場所の制約を受けない特別なからだに変えられるだけではなく、もう死ぬことはなく、永遠に生きる者とされたということを実証するためでした。この永遠の命は、一粒の麦が死ぬことで多くの実をもたらすように、人を愛するとき、すでに始まっているのです。