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私にとっての復活とは

土屋 至

今日の心の糧イメージ

私が教会で毎週木曜日の夜行っているキリスト教入門講座に、以前はアルコール依存症者の更生グループのメンバーがよく参加されていた。アルコール依存症の更生プログラムをある程度まで習得し、アルコール離れが進んだ人たちの中で、キリスト教を学びたいという希望を持った人である。

私の入門講座では最初に短い瞑想をし、その後にそれぞれが3分間くらいで1週間の生活報告をすることになっている。その1週間に心を大きく動かした出来事を短く報告する。他の参加者はそれによく耳をかたむけて聴くことに徹し、それに対して批判することはもとより、忠告や説教、解釈もしてはいけない。短い応答や顔の表情、笑顔などで反応する。

そこにきたメンバーたちは、最初は当たり障りのない報告をするだけだったが、暫くして気心が知れてくると、自分の身の上話を始める。地獄の底をはいずり回るような壮絶な話に他の参加者は圧倒される。

ほとんどが家族からも見放され、その居所さえもわからない状態から始まる。

それが暫く続けていると、そのうちに、家族の居所がわかった、家族から手紙が来た、家族と会った、一緒に食事をしたという報告が逐次なされるようになる。

他の参加者たちはそれを時に涙を流しながら一緒に喜ぶ。

ほんとうに「救われる」ということはこういうことだと実感する。その人が「復活」していくプロセスを目の当たりにすることは大きな感激であり、入門講座で教わることより心を動かされる。

今は、教会でのこのミーティングは開かれなくなってしまったので、このようにアルコール依存症から完全に立ち直り復活されたという感激を味わえなくなったのは残念なことである。