▲をクリックすると音声で聞こえます。

私にとっての復活とは

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

私が復活について初めて学んだのは中学生のとき。キリストという特別な方が生まれたことや、その方が神様の子とされた、というところまでは理解できましたが、復活となると、難しくて躓きました。折りしもゾンビの映画が話題を呼んだころで、死者の復活などと言われるとなんだか恐ろしい気がしたものです。

しかしいつしか、キリスト教徒が信じる概念としての復活については、ある程度自然に受け止められるようになってきました。死という最後最大の難関を乗り越え、神の国で生きたいと願うとき、イエスの復活は必要不可欠な信仰世界の成就なのでしょう。いまはまだ、被造物である私たち人類は、世の終わりに復活できることを待望している段階にあるといえます。この段階において、復活は神の国を待ち望む人々にとって最大級の希望であり、ロマンであり、信仰なのではないでしょうか。

 

科学的に復活があり得るかという議論は、信仰の場においては意味がないのかもしれません。それよりも、私たちが何を待ち望み、どう行動していくかを、復活というテーマは問いかけているのではないでしょうか。

新約聖書、コリントの信徒への手紙(2)13章4節には、こう書いてあります。

「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが(・・・)、神の力によってキリストと共に生きています。」

復活は、神の力によって、神とともに生きるうえで、最終的な到達点とも考えられるでしょう。イエスさまを傍に感じながら、希望をもって歩んでいきたいと思います。