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私にとっての復活とは

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

復活について、いろいろと思うことはありますが、希望し続けるということによって、必ず、何か良い知らせが受けられるということではないかと思います。

そして、私が、特によく思い出すのは、イエス様がラザロを生き返らせた場面です。(参:ヨハネ11・1〜44)イエス様と親しかったマリアとマルタの兄弟のラザロが死にそうだと連絡を受けても、イエス様はなぜかすぐにはお出かけにならないのです。そして、4日もたってから彼らの元に着かれ、マルタとマリアが、それぞれ「あなたがいらっしゃれば、弟は死ななかったと知っています。いまでも、あなたが神様にお願いになることは、必ずお聞きとどけになることを信じています。」と泣きながら言うのです。そして、イエス様がラザロが葬られているところに行き、墓を塞いでいる石を取りのけるように言われた時、マルタは、「もう4日もたっていますから臭くなっています。」と言うのです。すると、イエス様は、「私が願うことは必ず聞き届けられると言ったではないか、」と言われ、ラザロは、墓から出て来ました。

私がとても好きなのは、このやり取りの中で、イエス様が涙を流されたと書いてあることです。ここで、涙を流されたということを考えるとき、これは、やはり、愛する者の死という極限の悲しみにあっても、なお信じますと言う女達に対しての感動の涙ではなかったかと思うからです。

私たちが、本当に大変な困難にあるとき、イエス様は、きっと側にいて下さる、そして一緒に涙を流しておられると考えると本当に心強いではありませんか。きっとそうに違いないと思います。それがなければ、どうして、私たちは、とてつもない悲しみに打ち勝つことができるでしょうか。