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私にとっての復活とは

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

聖書には、イエス・キリストは、罪びととして十字架にかけられ、死んで、墓に葬られたと書かれています。イエスの死の3日目、弟子のペトロとヨハネが墓に行くとご遺体はなく、全身を巻いていた布がその形のままぺちゃんこになっていました。イエスがするりと布から抜けだしたように思えます。弟子たちは、「わたしは殺され、3日目に復活する」とイエスから何度も聞いていましたが、それまでは何のことかわからなかったのです。からっぽの墓と布の様子を見て初めて復活を信じました。(参:ヨハネ20・1〜8)

さて、私たちも、この世の命が終わった後に「復活」しますが、人生においても「復活」を体験します。たとえば、何かのきっかけで、ものの見方が劇的に変わることなどもそうです。

ある時期、私は苦境に立たされていました。状況が改善しないまま時が過ぎ、私はいつのまにか原因を周囲のせいにして苦しんでいました。数か月後、ふと、私が今、事故か何かで急に死んで、神様の前に立ったら・・・と想像したのです。イエス様はすべてをご存じの上で、「あなたはどんな態度をとりましたか」とだけ聞かれるでしょう。自分がどんな心でどう生きたか。それだけが私に問われるのです。周りの人の言動は私には問われません。この時、ものの見方が180度変わりました。私は周囲の被害者だ、と感じたのは私自身の解釈だと気付いたのです。相手が悪い、と考えると相手が変わらない限り自分は何もできないと思ってしまいます。しかし、よくない状況の一因が自分にもあると認めると、積極的な生き方を選ぶことができると気付いたのです。このとき、私は死んだ状態から「復活した」と感じました。