私たちも、もし信仰があれば、世の終わりに、栄光の体に復活するでしょう。そのとき、心身ともに完全・完璧な命を生きることになります。
聖書には「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」とあります。(黙示録21・3〜4)こうした希望こそ、復活の信仰にほかなりません。
多くの人々は、死者の魂が不滅なので、死後、生前の行いに応じて、来世の安楽を享受すると信じています。それで私は、死後、私の魂が天国に行き、そこで神を仰ぎ見て、永遠の安楽を享受するだろうことを信じています。そればかりではなく、死んで灰になってしまった私の身体も、世の終わりには、キリストのように、栄光に輝く霊的身体として復活し、私の魂と合体して、完全・完璧な私になることを信じ、期待しています。これこそ人間にとっての究極の完成ではないでしょうか。