▲をクリックすると音声で聞こえます。

私にとっての復活とは

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

聖書にある「主の復活」を私は4作の絵に描いています。1作は墓を見に行き、天使から主が復活されたと聞き、弟子達に伝えに行くマリア達に主が声をかけられる所。もう1作はトマスと弟子達の前に現れて、トマスに脇腹の傷をさわらせようとなさる場面、後二作はエマオの旅人で、話をしながら道を急ぐ3人の姿と、食卓に着きパンを祝福する旅人に、主だと気付く弟子達。その瞬間を半ば消えかかる主の姿と、弟子達の驚きの表現に工夫をこらして描きました。私はこの作品を描くことで、復活の神秘を信じられるようになりました。

キリストは生前と全く同じ姿形ではなく、弟子達が初めは見知らぬ旅人と間違えた位、復活したキリストは別人であったわけです。

先日、唯1人の弟が亡くなりました。私は急変の知らせに病床にかけつけ、臨終洗礼を授けました。ルルドの聖水を手に受けては、弟の頭から額にかけながら、昔から仲の良い姉弟であった日々を思い出し、心から彼の魂の平安を祈りました。すると明るく社交的だった彼が思い描いていたであろう願いが、私に乗り移ってくるのを感じました。

以前にも私はこれに似た体験をしています。ある夜、夢枕に現れて色々今後の目標などを語った友人が、2日後に亡くなりました。その後私は、彼女が語った夢を一部実現させました。でもそれは私の力ではなく、どう考えても彼女が私の中で復活し、成し得たことでした。

私にとっての復活とは、天に召された人の思いを、現世に生きる者が受け止め引き継ぐ事。私が帰天しても、いつか私を復活させる人々に出会っておく事。希望の光を祈りの油で、灯し続けることです。