キリストは生前と全く同じ姿形ではなく、弟子達が初めは見知らぬ旅人と間違えた位、復活したキリストは別人であったわけです。
先日、唯1人の弟が亡くなりました。私は急変の知らせに病床にかけつけ、臨終洗礼を授けました。ルルドの聖水を手に受けては、弟の頭から額にかけながら、昔から仲の良い姉弟であった日々を思い出し、心から彼の魂の平安を祈りました。すると明るく社交的だった彼が思い描いていたであろう願いが、私に乗り移ってくるのを感じました。
以前にも私はこれに似た体験をしています。ある夜、夢枕に現れて色々今後の目標などを語った友人が、2日後に亡くなりました。その後私は、彼女が語った夢を一部実現させました。でもそれは私の力ではなく、どう考えても彼女が私の中で復活し、成し得たことでした。
私にとっての復活とは、天に召された人の思いを、現世に生きる者が受け止め引き継ぐ事。私が帰天しても、いつか私を復活させる人々に出会っておく事。希望の光を祈りの油で、灯し続けることです。