▲をクリックすると音声で聞こえます。

私にとっての復活とは

福田 勤 神父

今日の心の糧イメージ

私は、昭和初期当時の一般的な家庭で育ちました。特に私の場合は、傷病兵として帰国していた父の影響を受けたように思います。

その父と、毎朝一緒に神社参拝に行く道すがら、父は「神様は実在するものではないが、宗教は人間社会を潤してくれるものだから、大切にしなさい」と言っていました。

当時、未だ7歳位だった私が理解できる筈もないのに、常識人だった父が何故あんな言葉をかけてくれたのか、今も分かりません。

第二次世界大戦の終戦の年の春。その父が、そしてその同じ年の秋には、何時もニコニコと私を見守ってくれていた無口で優しい母が、相次いで亡くなりました。

何時も暖かく私を包んでくれていた父。何時もニコニコと見守ってくれていた優しい母。

「愛は消え去るもの」・・・。 幼い私の心に深く刻み込まれた現実でした。

"愛は限りあるもの・・・死と共に消え去るもの・・・"。

 

未だ幼い子供だった私は、生意気にもニヒリスト的になり、死をも考えました。

その時、姉が誘ってくれた教会で、愛の永遠性を堂々と、そして真剣に掲げている新約聖書と出会いました。

何度か拒み続けながらも、姉の強い誘いで教会を訪問している内に、時の流れの中に消えかけていた「愛の永遠性を信じる心」が、私の心の中に再び芽生えて来ました。そして、新たな私の人生が始まったのです。

「愛の永遠性を信じ、その愛に人生を賭けて生きる」。それは、亡くなった父母の愛、そして全ての人々との愛の交わりを信じて生きる生き方です。それは、私にとって「愛に生きる人生の復活」でした。