ところが、新約聖書を読むと、聖ヨセフはすばらしい人物であることに気づくようになりました。彼は、いいなづけのマリアが婚約期間中に自分と関係がないまま妊娠したとわかったとき、本来なら彼女を訴える権利を行使できたのに、彼女のことを思って「表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1・19)のです。それは、彼が「正しい人」だったからです。
彼の正しさは、神のおきてを単に文字通り守ることではなく、神の意にかなう方法で人の心を理解し大切にすることだったのです。マリアが神の特別な働きで子どもを宿したとわかると、神のお望みどおりマリアを妻として迎えました。イエスが生まれた後、ヘロデという王から命をねらわれたためエジプトに避難し、再び故郷のナザレに戻り、大工の仕事でつつましく生計を立てました。
聖書には彼が口にした言葉は記されていません。彼は、マリアの夫、イエスの養父として、言葉より行動で、マリアとその子イエスを守ることに徹しました。彼に与えられた役割は特別なものでしたが、神の望みのままに、特に行いによって淡々と、しかし誠実に果たしたのです。