ようやく許可が下り、14年ぶりのカルカッタ訪問が実現したのは、神父になって数年後のことだった。「神の愛の宣教者会」本部修道院の一階でマザーの大きな墓石を目の前にしたとき、わたしは一瞬たじろいだ。マザーの死という現実を、目の前に突き付けられた気がしたからだ。しばらくの間、私は部屋の隅から墓を眺めていた。
意を決してマザーの墓に近づき、墓石にもたれかかるようにして祈り始めたとき、不思議なことが起こった。心の奥底から、喜びと安らぎがとめどもなく湧き上がってきたのだ。一体何が起こったのかと思った。「ここは悲しむべき場面のはずなのに」、と思ったのだ。だが、すぐあることに気づいた。その喜びと安らぎは、昔、マザーの側で感じたのとまったく同じ喜びと安らぎだったのだ。「マザー・テレサは生きている。死んでなどいない」、温かな喜びと安らぎの中で、私はそう確信した。
わたしたちの心の奥深くに刻みこまれた愛の記憶は、相手が死んでしまっても決して消えることがない。その愛を思い出すたびに、生き生きとよみがえって、わたしたちに生きる力と勇気を与えてくれる。復活というのは、そのようにしてよみがえり続ける愛の記憶のことなのかもしれない。