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私にとっての復活とは

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

日本で、「キリスト教!」と言えば、多くの人は、まず、喜びをもって迎えるクリスマスを思い起こします。キリストの降誕をごく自然に受け止めています。ところが、教会の最も重要な祭日であるキリストの復活を祝う復活祭、イースターについては、ほとんど知られていませんし、人々の関心も、ほとんどありません。これは、復活祭の日にちが毎年変わること、それにも増して、「復活」という出来事が、次元の違う超越的事柄であるからに違いありません。

 

キリストは十字架にかけられ、葬られ、3日目に甦ったと伝える聖書も、このキリストの復活を理解するのは容易でないと力説し、キリストの弟子たちも、キリストの復活を耳にした時、このビッグニュースが、彼らに「たわ言のように思われた」と記しています。(ルカ24・11)

 

まさしく、キリストの復活は、非常に理解は困難で、まず、キリストの御言葉を信じ、祈り求めることによってのみ、初めて知り、悟ることが出来るのではないかと思うほどです。この難しい問題について、2000年来、キリストの教えを伝承するカトリック教会は、「キリストの復活は、人類への神ご自身の超越的介入であり、人間の理解力をはるかに超えた、信仰の対象、信仰の頂点となる真理である」と断言するとともに、キリストは、死の状態から復活したからだをもって、時空を超えた別のいのちになったと説いています。

 

つまり、キリストは、今も私たちと共に生き、共にあることを示唆しているのだと思います。キリストの復活を認めようとしなかった弟子トマスへのキリストのアドバイス「見ないで信じる人たちは幸いである」という言葉が思い出されます。(ヨハネ20・29)