復活を信じるということは、ただ死者が甦ることに留まらず、永遠と永遠の命を信じることなのだと、その手は言っているようだった。
大切な人々を亡くした時、人はなかなかその死を受け入れることが出来ない。悲しみや喪失感、あるいは自責の念に打ちひしがれる。だが、苦しみの長い時間の果てに、私たちは気がつく。死者はいなくなった訳ではないことに。苦しみをくぐり抜け、浄化されて研ぎ澄まされた心だけが聴き取れる声があるのだ。それは生者と共にいる死者の励ましの声のようでもあり、永遠というものの気配のようでもある。
日常の雑事に埋没してしまう私のような者に訪れてくれるのは、ささやかな出来事ばかりだ。私にとっての復活と永遠は、たった一人のために立ち続けて、祈りの言葉を伝える手が指すものであり、またその手に与えられ、私たち皆を光のうちに包むものなのだと思っている。